1人かんちがい

心とつながる

〜最近のちょっと恥ずかしくて、大切だった気づき〜

私は

救済者(お節介)気質 × 超ポジティブ × 外向きエネルギーがある。

プライベートで気を抜いていたり、
「この人、気が合うな」と感じてしまうと、
つい、このエネルギーが前に出てくる。

例えば、連絡の返事が返ってこないとき。

  • 忙しいのかな?
  • 言葉にできないだけかもしれない
  • こちらから差し出したほうがいいのかもしれない

そんなふうに、頭の中で理由を並べ始める。
そして、出来事が継続していると思う。

相手がいい人だと
ちょっと気を使って返事をくれる。
だから、さらに気が付かない。

でも、あとから冷静になって振り返ると、
あれはきっと
「これ以上、入ってこないで」
という合図だったのだと気づく。

「あれ?」と思った時は、もう遅い。

結果、お互いに防衛フィルターを貼り合うという、
なんとも切ない展開になる。

でも、こういう切ない出来事、私はこう呼ぶことにしています。

**「宇宙からの贈り物」**って。(超ポジティブな便利な言葉です)

じゃあ、この出来事は
何に気づくためだったのか?

ひとつ目。

外向きのエネルギーが人に向かうとき、
どれだけ善意であっても、
どれだけ前向きなエネルギーであっても、

オープン表示が出ていない場所には入らないこと。

これは、境界線(バウンダリー)の問題。

ふたつ目。

まだ、救済者(お節介)が残っていたということ。

私が「なんとかする必要がある人」は、
本当はいない。

みんな、それぞれに
自分の人生を精一杯生きている。

リクエストがない限り、
相手に介入してはいけない。

わかっているつもりだったのに、
まだ、その癖が残っていた。

そもそも私が
この救済者(お節介)気質を持つようになったのは、
相談職時代の経験が大きい。

日本の高齢者女性の多くが、
「お願いする」ことができずに我慢を重ね、
倒れて初めて
「言葉にできなかった必要性」に
気づくことが多かった。

そんな場面を、
何度も目の前で見てきた。

だからこそ、
何回も本当に大丈夫かなと確認してしまう。

でも、だからと言って
助けを求める人なんて
いない。

リクエストできるなら
多分、最初からしている。

それに気がつきだしてからは

私の救済者(お節介)気質を
発動させることよりも、

上手にリクエストをする方法が
もっと自然に広がっていくことのほうが
大事なのではないか。

そう思うようになってきた。

「助ける」よりも、
「頼める」社会。

「察する」よりも、
「言葉にできる」関係性。

そのほうが、
境界線も、尊重も、
ずっと健やかだ。

それを改めて思いかえせたことも、
今回の出来事がくれた
大切な贈り物だった。

人生は、気づきが必要なときに
とてもさりげない形で出来事を差し出してくる。

恥ずかしさも、
後悔も、
言葉にできなかった違和感も。
誰かを責めるためでも
自分を否定するためでもなく

「自分を知るため」の合図。

そう考えると、全ての経験は静かな贈り物だった。

個人セッションでは、

・繰り返してしまう関係性のパターン
・無意識に引き受けている役割
・エネルギーの向きや、境界線の感覚

こうしたものを、
正そうとするのではなく、
評価せずに、丁寧に見つめていく。

「どうあるべきか」ではなく
「私はどう在りやすいのか」を
静かに理解していく時間だ。

もし今、人との距離感や関係性に
小さな引っかかりを感じているなら。

それは、自分を深く知るタイミングが来ている
サインなのかもしれない。

自分に戻るための時間を、
必要な方とご一緒できたら嬉しい。