つながりがないという事

心とつながる

関係性が曖昧になる人がいる。
問いかけても返事は遅く、薄い。
ときには、何もなかったかのようにスルーされる。
「あとでね」と言われたまま、終わることも多い。

夫婦や同僚など同じ空間であれば非言語コミュニケーションできるのとは違う、
普段、あまり会わない関係性の話。

関係性を続けたい意思がないことは伝わってくる。
本来なら、そこで関係は終わるだろう。

それでも、私の中の何かが反応して、終われないときがある。
相手の中に、「私が寄り添わなければならない何か」があるような気がしてしまう時。

私の一方的なお節介で、勝手な介入である。

それを相手も感じるから、さらにまた引かれてしまうのだろう。
相手からすれば、迷惑な話である。
重々承知の上で、今回、気づきのドラマの相手役になってもらったことには感謝しかない。

この関係性に入ると、私は現実から離れていく。
相手の気持ちを勝手に推測し、
過去のやりとりを何度も思い返し、
意味を探し続ける。
気づけば、頭の中だけで生きている。

ぎゅっと身体を硬くしたまま
目の前の現実を感じなくなる。

これが目を開けたまま眠っているということなのだろう。
自分の頭の中のドラマに入る。

知っているのに止められない。

今回、俯瞰する力をつけていたお陰で、
これは勝手に始まるし、止められない事がわかった。

自己コントロールできるのは、
没入するか
俯瞰するか。

没入は、感情体験できるし、俯瞰は謎を解き明かすようで面白くもある。

私はなんで、このドラマを展開しているのか??
ただ、神経はかなりすり減らし、
その頭の中のドラマにエネルギー全投入だから、
現実世界で動いてもないのに、
かなりのエネルギー消耗をする。

大学時代にも、同じ経験をした事を思い出した。
ほとんど起きていられなかったし、いつも疲れていた。
ほぼ、1年2年は学校にも通ってない。
あの頃は知識もなく、自分に何が起きているのかもわからなかった。

今は違う。
脳や心の理解があり、
ヨガや森林セラピーを通して、
自分を客観的に見つめる力が育ってきた。

良い悪いは別にして、求められていないエネルギーを相手に向ける性質が自分にあること。

そして求めたのに帰ってこないエネルギーに対して、
今までは私がやりたいことだからとギュッと閉めていた蓋の下にある、
傷ついている自分を救い出してあげる。

本当は、つながりたい、受け入れられたいんだという
自分の訴えに寄り添って共感してあげる。

寄り添ってあげたり、傷ついた自分になって泣いてみたり、結構大変である。

ひと通り、そんな事をしばらくしてて、
落ち着いてきた今は自分の喜びのために選択することにした。

過去の学びの中での大好きなフレーズ。
「自分のニーズを特定の人や場所で満たそうとしたら執着となる」

私のニーズ「つながりたい」「受け入れられたい」
ただ、自分で認めて表現していく試み。

現実世界でつながって受け入れて
一緒に生きてくれる人を大切にしよう!

自分の弱さをオーブンにするのは少し練習がいる。

今回も、完璧にできたわけではない。
現実に戻って
自分の弱さに共感して、
納得できるまで時間もかかった。

NLP・NVC・セルフコンパッション・呼吸・瞑想・ヨガ
ありとあらゆるものを総動員。

そうやって、流れを止めずに最後まで見届けることができた。
その強さをつちかってきた自分を、少し誇らしく思う。

関係性とは何か?つながりとは何か?
そして「自分を大切にするとはどういうことか」を
静かに教えてくれる貴重な経験になった。