パーマカルチャーと、私の暮らしの原点

パーマカルチャー
Screenshot

パーマカルチャーを学び始めて、気づけばもう10年ほどになる。

すべての始まりは、今は高校生になった息子のアレルギーだった。
生後3ヶ月で肌がただれ、受診した結果、米以外のほとんどの食品にアレルギー反応が出ていると告げられた。

母乳育児だった私は、「私が食べたものが、そのまま息子の体になる」という現実を突きつけられ、そこから必然的に“食”を学び始めた。

無頓着だった、あの頃の私

その2年前まで、私はアメリカに滞在していた。
日本に戻ってきてからは、コンビニスイーツの美味しさに感動し、妊娠前から娘と一緒にコンビニ通い。
今思えば、食や暮らしに対して、かなり無頓着な生活をしていたと思う。

そんな中で起きた、東日本大震災。

社会は「全体の善」を優先し、個々の善のためには簡単には動かない。
その現実を、身体感覚として突きつけられた出来事でもあった。

だからこそ強く感じた。
自分や家族の健康や生き方を、人任せにしてはいけないと。

「私たちにとっての善とは?」という問い

そこから私は、自分や家族にとって
「どんな食事がいいのか」
「どんな暮らしが心地いいのか」
を問い続けるようになった。

その探求の先で出会ったのが、パーマカルチャーだった。

パーマカルチャーとは、
持続可能で自己維持できる暮らしを目的に、
自然の仕組みを学び、それを人の暮らしや農業に応用していくデザイン思想。

最近では、そこにリジェネラティブという考え方も重なってきている。
環境や社会、人と人との関係性を「消費する」のではなく、
再生し、回復させながら生きていくというアプローチだ。

私は、きちんと地球とつながり、
自然のリズムに即して生きていきたいと思うようになった。

息子が、私の生き方をひらいてくれた

きっかけは息子のアレルギーだったけれど、
振り返ると、息子が私を“本当に生きる方向”へ導いてくれたのだと思う。

不思議なことに、息子のアレルギーは3歳頃にはほとんど消えてしまった。

神奈川県藤野にあるパーマカルチャーセンターで、
デザインコースと実践コースをそれぞれ一年ずつ学び、
その後は仲間たちの自然農法の田んぼや畑を手伝いに通ったり、
全国各地の実践フィールドを訪ね歩いたりしていた。

そして、次の扉へ

ずっと「移住したい」と願いながらも、東京を離れられずにいたけれど、
ようやく、少しずつその準備が整ってきた。

そんなタイミングで、前からずっと行きたかった
千葉・ブラウンズフィールドの短期ボランティアに参加できることになった。

中島デコさんは、アメリカにいた頃、
オーガニックやマクロビオテックを学んでいた私にとって、
レシピや暮らしの在り方のお手本のような存在。

約15年前、憧れていたその人のフィールドに、
今の自分が立てることが、ただただ嬉しい。

次の暮らしへ向かう前の、大切な時間。